時間契約のこと
精神分析療法の研鑽に励み始めていた当時、私は公的病院に所属していた。
精神分析療法を行う前提に、時間契約・金銭契約・禁欲契約がある。
金銭契約については、国民皆保険のわが国ではこれを医療現場で実行することは不可能だったので、考えの外におくしかなかった。他の二つ、それを患者さんたちと契約することから治療を手掛けた。
時間契約とは、毎週決まった時刻に患者と治療者が出会い、一定の決めた時間(セッションという)を治療時間とする。双方は、理由に関わらずに遅れないことが前提で開始し、何らかの理由で開始時間が遅れたとしても、終了時間は同じである。その後は、開始についても終了についても些少な時間の遅れでも、そのことを精神心理的問題との関連で吟味検討する。これを時間契約という。精神分析訓練の第一歩である。これを実行し始めてすぐに私は、フロイトが設定した基本契約の意義について、その偉業の一端をまたもや実感することになった。
そもそもわが国では、契約で物事を進めるという社会常識がその頃特に、一般的ではなかった。フロイトを踏襲するからにはその理論の基盤から始めることだと心得て、患者さんたちにも説明した上で実践した。40年も昔のことである。
まもなく、時間契約が体を成さないことに難航した。
約束の時間通りに来る患者さんたちの方が稀有でさえあった。それは患者さんたちだけのことではなかった。病院に診療室は限られていた。医師間で都合しあって使用するのだから、お互いが予定を入れて部屋を確保したのだが、A先輩医は、しばしば予定時間を延長して部屋を使用し続けた。私は予定時刻に部屋を使用できずに患者さんと共に部屋が空くのを待たなければならなかった。何度も繰り返されるので、作成したタイムスケジュール表を扉に張り付けて各自の使用予定を明示することにしたが、それでも先輩医はしばしば予定時間を延長して部屋を明け渡してはくれなかった。基本である時間契約を守ることは状況的に困難だった。そのうち私は、A先輩医師の使用時間については延長を見込んで患者さんの診療時間を確保した。
しかし、
特別に約束したその時間に、臆面もなく遅れてくる患者さんたちは後を絶たなかった。そんな日々を繰り返していたある日のメモを、以下、40年ぶりに陽の目に曝してみよう。
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小児科医の友人は、一日70~80人の患者さんを診るという。それに比較して私の仕事は何たることだ・・・と思う。一日せいぜい7~8人。その比率のことを患者さんたちは考えるのだろうか?
そのことを彼らが訝しく思うことがあるのだろうか?
それだけの、つまり、10人分の時間を私の患者さんたちが独りで使っているということを。
どうしてこんな道に入り込んでしまったのだろうか・・・と、腹立たしくなることもある。医療一般では、来院した順番に診療するのであって、その多くの人々、いや人々はみな、その時間を待合室で待っているというのに。こうした状況下で時間約束をしていることに対する理解が行き届かない。それこそが、彼らが現実性を失っていることなのであろうと考えてはみても、繰り返されると腹立たしくなってくる。
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40年も昔のメモである。何らかの理由で人はときに約束を守れない。現在でも、ときに時間約束を守れない状況に陥る患者さんたちがいて、その彼ら全てを非難しているわけではないことを、重々お断りしてここに記していることをご承知いただきたい。
ともあれ、こうしてフロイトが治療の基盤においた時間契約・金銭契約・禁欲契約の意義を、私はあらためて実感したのであった。これを実践できる場を考えることにした。自費診療所の開設になった。
金銭契約にあたっては、平均的に毎週一回受診するとして負担できる金額、週3-4回受診するとしても支払可能な範囲の金額として、一回五千円を設定した。予約時間を反古にする患者さんたちが多いから、その時間は結果的には私の時間になるのだと計算した。
フロイトが、われわれの仕事は時間を売っているのだと言っている。
患者さんたちには、たとえ彼らが時間に遅れるとか反古にしたとしても、約束した時間に相当する支払いを求める(たとえキャンセルしても料金は支払うという契約のことを、金銭契約という)のだから、私は、患者さん一回分の支払いをより少額に設定していいのだと計算した。彼らが予約した時間のうち、おおかた五分の一ほどは私的に使える時間になるのだから、と見積もって、できるだけ安価な設定にした。
ところが金銭契約を実行してみると、患者さんたちは約束の時間に遅れるとか反古にするなどのことがなかった。ほとんどが時間通りにやって来たし、予約をキャンセルすることもほとんどなかった。
私は計算間違いをしたことに思いあたった。料金を受け取りつつ、しかし私の時間になるのだと見積もった時間を手に入れることはほとんどなかった。患者さんたちは契約を守った。
ふたたび私は、フロイトの偉業の一端である金銭契約の意義への認識を新たにした。加えて、金銭と人の行動との関連を考え始めた。クリニック開設直後の頃のことである。
寒かった冬から春の到来を感じさせる午後に
2014年3月25日 院 長 小林 和