今年のシクラメン・・・臨床医からのひと言



今年のシクラメン

 

開院して40年。

阪神淡路大震災被災後の復興ビル第一号と銘打った当ビルに転居してきて20年。百年に一度と言われた大震災だったから、揺れを案じるよりはむしろ南面に浴びる陽光の方を好んで、9階に陣取った。7~800メートル先に広がる大阪湾との間には東西を繋ぐ数本の道路や中華街が層をなしているから、高層ビルが建ちゆく余裕はさほどない。それでも20年の間にはいくつかの新興ビルが視野を阻んできた。今や大阪湾は、ビルとビルの隙き間に奥行き深く日々の姿を現して、遊覧船やタンカーなどが一瞬の姿をここに見せる。これも、両袖に広がる大阪湾を想像させ心豊かにして嬉しい。

 膝程度の位置からほぼ天井まで、南壁面いっぱいに大きく開けた窓を気に入っている。燦燦と太陽が降り注ぐ日は、真冬でも温室並みにまどろみたくなる。

 こんな環境の窓辺で愛でているひと鉢のシクラメンの話を聞いていただきたくて・・・。

 

 年末に頂いたひと鉢が、見事に次々と蕾を付け、花を咲かせている。もう3月も終わりというのに。葉っぱだって、ほんの二枚黄ばんだのを摘みとったことはあったが、写真の通り所狭しと競って緑を保ち続けている。サボテンふた鉢を準備して、片方には日々の水やりのたびに優しい愛でる言葉掛けをして、もう片方には、無愛想に無造作に水やりをすると、花つきが全く違うそうだ。植物とて、人の心を読み取るのだ・・・という心理学実験のことを常々想起しながら、鉢への水やりの都度に声掛けしているからだけではない。こんなに見事に花咲いた理由をお話したくてキーを叩いている。

 

 いただく鉢植えにはいつも手入れ方法ラベルがついているから、まずはひと読みする。そのとおりの実行を心がける。しかし、転居して20年近く、毎年、時にいただき時に買い入れたシクランメンの鉢は、葉っぱが一枚二枚と黄ばみ、萎れ、枯れ、花をつけた茎が凛と立つことは珍しく、すぐにうな垂れるから元気そうな葉茎に持たれ掛けさせたりして見栄えを整えていた。水が多いのだろうか、少ないのだろうか、太陽光が少ないからか、風通しがいるのだろうか、肥料は多すぎてもだめ少なくてもだめ・・・等々、いつも思案しては成功したことがない。あげくには、花屋さんの鉢植えは温室育ちだから、場所を移されてはそのままを維持できないのだと自己弁護していた。

 ところが今年は違った。というのは、あの手入れ方法ラベルをかなりしてから再々度一言一句を熟読し、鉢を観察した。見ると、鉢カバーの下部の片隅に円錐形の切り口があってここが透明テープで塞がれていた。透明テープでのきれいな仕上げだったので剥ぎ落としていいものかどうかを迷いながらだったが捲ってみた。と、スッキリと剥ぎ取ると三角形の切り口が現れ、指を入れると鉢底に触れた。なぁーんだ! ここから水を入れるってことなんだ!!

 翌朝から早速、薄めの肥料水をここから注いだ。入る入る。ジョロの水をグングン吸い取っていった。ええっ! こんなにたくさんっ!!

 夕刻、確認のためにここに指を差し入れると、水面はすっかり曳いて鉢底に触れた。水不足だったんだ! 翌朝もまた! 以来毎日、朝に夕に大量の水が必要だったのだと知った。こうして当のシクラメンは長い間を飽きさせることなく咲き誇り楽しませてくれている。

 

 そして知った。マニュアルを丁寧に仕上げ、かつマニュアル通りに実行していたら、仕事はこのように捗るのだと。クリニック開設から40年。数多の職員を雇用してきた。職員が笑顔でいれば患者さんに伝わる。患者さんに笑顔が生まれる。健康を取り戻す。私の臨床哲学だ。

仕事上では、都度都度にマニュアルを作成したものの、都度都度に書き換えたり書き加えたりを繰り返してきたものの、いつになっても指導すべき事態は失くならないと嘆いていた。しかし今思う。たかが、シクラメンひと鉢の世話でさえ、満開を迎えるのに20年を要したのだ。ましてや、意思を持つ成人一人ひとり、担当業務を異にする一人ひとりを対象にしている。各部署での各人が満開になるなどには数十年で足りるだろうか? その間に、ある人は事情で退職して去っていく。ある人は命を終えて別れて逝った。それぞれの人生がある。

 40年。私が準備したこの職場で出会った一人ひとりのことを想う。

 一人ひとりの人生が満開するのに、私はどれだけ参与できただろうか?

 マニュアル作りも必要だったけど、うまく咲ききれない人生があったとしたら、私の観察不足に責めがあったのかも知れない。

 

 たったひと鉢のシクラメンに学んだ。人生終末期を迎え始めた今になって・・・。

 

2020年3月吉日